放射能の恐怖とガイコクジン

もう1本、社会ネタのエントリーをしておこうかと。

福島第一原発のニュース関連で海外の記事を見ていると、どうも海外では過剰に反応しているという印象です。同じように外国政府も過剰に反応している印象があり、インドでは日本産の食料品全てを輸入禁止措置に踏み切ったそうです。

一方で、日本国内は海外に比べると落ち着いているというか、混乱はあるものの、まー(自分は)大丈夫でしょう的な反応が強い印象です。ネット界隈を見ていると、逆に騒ぎ立てている人に対して、「今のところ安全なんだからガタガタ騒ぐな」というメッセージが届いていて、ある種混乱を抑制する動きが活発化している印象です。

さて、日本人と外国の人々とのこの温度差は一体なんだ?と考えたときに、放射能に対する理解度の違いがあるのではないかと思うわけです。ここで言う理解度とは、学術的な原子力に対する理解度ではなく、経験的に放射能に対する恐怖を知っているという意味です。

日本は1945年以降、放射能というものを何回か経験しています。広島、長崎、第五福竜丸、最近ではJCO臨界事故もそうです。放射能に対する恐怖は、実体験としてあり、実際に体験した人々は現在も生きていたりするわけです。またその体験談は、教育や情報となって蓄積されているわけで、いざ事故が起こった場合、日本人は程度について考えるわけです。

一方で多くのガイコクでは、放射能を経験したことがありません。すなわち、ガイコクの人々にとっては放射能は未知の恐怖となるわけです。未知の恐怖は無限に膨張していきます。なので、程度を考えるよりも「有/無」で考えがちであると思うわけです。

私は、3.11以前まで核と放射能に対して、世界で一番恐怖しているのは日本人なのではないかと思っていたわけですが、今回の福島の事故を見る限り、まったく逆であった。そう思います。