カテゴリー別アーカイブ: コラム

NHK 時論公論 「がれき受け入れ”拒否”の理由」 を読む

いや、いい記事ですね。

時論公論 「がれき受け入れ”拒否”の理由」
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/113992.html

よくまとまっている記事だと思います。

で、記事中で気になった点を引用しますと

町内会長などは、知事と大楠地区の人たちだけで話し合いたいと希望していましたが、ほかの地区や市外からも大勢の人が詰めかけました。予定の倍以上の人であふれ、肝心の地元町内会長たちは会場に入れませんでした。説明会では遠くからやってきた反原発や政治活動のグループが、知事の説明や質疑応答に野次や怒号を浴びせ、地元の人たちが止めてもおさまりませんでした。

ここです。大楠地区というのが、横須賀で瓦礫受け入れ先となる処分場がある地域になります。やはりそうなのかと思うのが、地元当事者以外の連中が騒ぎ立てるという動きですね。

この件に限らず、得てして住民反対運動の参加者の多くは、外部の人間であるというパターンです。横須賀という地域で他の例を挙げるならば、米軍基地の反対運動が挙げられるでしょうか。

横須賀では、米軍基地の撤去を求める人は、ほとんどいないです。土地柄、軍港があるのが当たり前というか、軍港の街として発展してきた歴史もあり、軍港に嫌悪感を示す人はほとんどいないのです。

一方で、米海軍の原子力空母が寄港するとか、原子力潜水艦が寄港するとか、そーいうイベント事が発生すると、基地の付近で反対の声を上げる人たちが出てくるのです。

「あなたたちは、どこの方ですか?」と問いたい気分にさせられますが、関わり合いを持つと面倒くさいので、当然声をかけることなどしませんが、いったいどこから湧いてくるのでしょうかね。

過去を顧みると

昔からこの手の反対住民運動で、政治的な絡みが出てくると、「正義の味方」面したお方がどことなく現れ、頑張っちゃうケースが多いのかなと。

以前、成田に住む方と車のオフ会的な場で、成田の話をしていたときに出た話ですが、成田は空港建設の際に、成田闘争なる大規模反対運動があったわけですね。

現在の成田住人は、もやもやした気持ちを持ちつつも、地元経済は成田空港の依存度が高いので、今更成田空港がなくなっても困るっつー話でした。それでも反対運動をしている人ってのはいるのだけど、地元住民というよりは他所の人がやってるって話でした。

彼らは何処からやってくるのか

かつての住民運動とか、反対運動ってのは、いわゆる活動家と呼ばれる人たちが、当事者の周りを囲むようにいたという印象をもっています。そして彼らは、片手間で活動をしていたわけではなく、活動そのものを専業としてたようです。

彼らも生活があります。飯を食う必要があれば、雨風をしのぐ居住空間も必要です。では、彼らの活動資金はどこから?という疑問も出てくるわけです。

いろいろと考えてみたものの、全体像としてまとまらないので、私の結論は「よくわからない」というところで終わってしまうのですが、こんな本を読めばわかるよー的なポインタを誰か教えてください。

角川グループとAmazon.com 電子書籍の配信契約を締結

これでやっと消費者側から動くタイミングが出てきたかな?

角川グループ、Amazon.com(アマゾン)と「Kindle(キンドル)」向け電子書籍の配信契約を締結
http://www.shinbunka.co.jp/news2012/03/120301-01.htm

電子書籍に価格競争?

確固たる日本のコンテンツプラットフォーマーというものが、電子書籍マーケットで出てこないという現状でとうとう角川グループがアマゾンと契約するに至った。以前から交渉は続けていると公の場で発言していた角川会長であるが、詳細な契約内容は不明ながら記事中には「価格決定権」はアマゾン川が持つと明確に書いてある。この価格決定権について、苦渋の思いで契約に至ったのかは不明であるが、これによって価格破壊が起きそうな雰囲気は出ているのではないかと感じる次第。

ここで疑問に思わなければならないのが、角川がサービスしているBOOKWALKERとの兼ね合いだろう。BOOKWALKERは国内サービスとしては、かなりいいせんをいっていると個人的には思うのだが、価格面で言えばそれほどのインパクトはない。同じ商品(厳密に言えば違うのだろうが)が同じ価格で販売されるのか、価格競争が行われるようになるのか、ここに注目をしたい。

Kindleでの価格決定権をアマゾン側が持つとなると、私の想像ではKindle側のほうが安く価格設定がされると思う。そうなると、BOOKWALKER側で対抗措置として価格改定が行われる可能性も十分出てくる。

正直、大丈夫なのか?という印象を拭いきれない。

あまりの落差によってBOOKWALKERがサービス中止になる事も視野に入ってきてしまう。そこまでBOOKWALKERの状況がひどくなれば、Kindle向けの契約を破棄するという選択肢も出てきてしまうかもしれない。

端末はどうする?

アマゾン側からすると、日本でKindleの正式サービスはまだ行っていないが、どの段階でKindleのサービスを始めるかに注目したい。

そのときのサービスの展開の仕方だが、Kindle Fireのようなアマゾン謹製端末を中心に攻めていくのかという、必ずしもそうではないのではないかという思いも拭いきれない。日本ではサービスの遅れ、代替となる端末がえらく急速に普及している現状で、わざわざKindle Fireのような端末を購入することになるだろうか?それは苦戦するのだろうと予測する。むしろ、Kindleをスマホやタブレットのアプリとして、そちらをメインにサービスを展開していくのではないかと思うのだが、どうだろうか。

他の出版社はどうなる?

角川グループはこのあたりは迅速に動いている印象はあるが、他の出版社はどうだろうか。もちろん、他の大手出版社とアマゾン側との交渉は行われているという話は漏れ聞こえてくるが、この発表により他の大手出版社も流れ込むような動きにはならないのではないか。そんな気がしている。

もちろん、アマゾンが日本での正式サービスを開始するにあたり、「角川グループだけです」ということにはならないだろうが、小規模出版社がいくつか参加という具合で、不十分なボリュームでの見切り発車になるのではないか。というのが、私の予測。この予測は是非外れてもらいたいものである。

クラウド時代と< クール革命> (角川oneテーマ21)
クラウド時代と<クール革命/> (角川oneテーマ21)” /></a></td>
<td valign=角川 歴彦 片方 善治

角川書店(角川グループパブリッシング) 2010-03-10
売り上げランキング : 159021

Amazonで詳しく見る by G-Tools

ある本屋での邂逅

昼食を入手すべく近くのコンビニへ出向いたら、今日から店舗改装工事のため営業を停止しているとう張り紙を見て、仕方なく少し遠くのコンビニへ出向いたわけです。目的は昼食と今週の週刊少年マガジンです。まだマガジン読んでなかったんだよね。いつもいく最寄りのコンビニでは、マガジンは土曜日までだいたい棚に平積みしてあるのですが、今日行ったコンビニではマガジンがもうありませんでした。

一瞬途方に暮れた訳なんですけど、「あの本屋ならまだ置いてあるかな?」と家から反対方向にある本屋。店舗面積で言うと25平米ぐらいしかなさそうな、小さな本屋です。

非常にこぢんまりとした、佇まいでよく営業を続けていられるなと不思議に思うわけですけど、子供の頃はよくお世話になった記憶があります。

今から20年ぐらい前ですかね。当時、我が家が定期購読してた漫画雑誌って、週刊少年ジャンプ、週刊少年サンデー、ビックコミック、ビックコミックオリジナル、ビックコミックスペリオール、ビックコミックスピリッツと、小学館系統が中心。マガジンは定期購読していなかったんですよね。マガジンは友達の家で見るか(当時、入り浸っていた友達の家があった)、先の本屋で立ち読みするかの2択でした。その本屋ではマガジンは買わないのですが、当時やはり定期購読していたLOGiN誌はそこで取り置きしててもらい、必ずその本屋で購入していたのです。

その本屋は、本屋にもかかわらず、SHARPの代理店もやっていて、SHARP製のワープロとかも販売していたんですね。記憶が曖昧ですが、アップル製品も扱っていたような記憶もあります。そこの店主であるおじさんは、パソコン関係が好きだったんでしょうね。LOGiN誌を買いに行ったとき、パソコン関係の話で盛り上がったような曖昧な記憶もあったりします。

話は現代の今日に戻して、マガジンを購入するため久々に(数年ぶりでしょうか)顔を出してみたところ、マガジンは売り切れていたのですが、せっかくなので何か買って帰ろうと思い立ったわけです。店主のおじさん改めおじいさんは、外で雑誌の棚を整理していたのですが、声かけて中に入っていいか?と訪ねると、どうぞどうぞと導いてくれたのはいいのですが・・・

本が山積みで奥に進んでいくことが出来ませんでした。

ちょっとこれは・・・

なんと言えばいいのだろう。

20年前と異なる事は、出版界って明らかに出版点数が増えたんですよね。世の中に流通する本の種類が単純に増えた結果、小規模店舗はそれに対応が追いつかないという状況になっていて、仕方なくいろんな本を仕入れてみるものの、どれが売れるのかよくわからないという状況で、在庫だけは増えていくというような状況になっているんでしょうね。

特にマガジン以外で目的があって来たわけではないのですが、やはり何か買って帰りたいという欲望というか、なんというか。で、思い出したのが野尻包介こと尻Pの新刊。

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)
南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA) 野尻 抱介 KEI

早川書房 2012-02-23
売り上げランキング : 37

Amazonで詳しく見るby G-Tools

探査機はやぶささん SFが読みたい! 森薫拾遺集 (ビームコミックス) 僕と日本が震えた日 (リュウコミックス) Tell Your World EP【初回限定盤CD+DVD】

で、期待せずに入荷してるか聞いてみたところ、「野尻抱影さん?」「いや違います、野尻包介さんです」というやりとりを経て、多分ないという結論に達したんでしょう。そうしたら、レジに置いてあるPCから取次さんのサイトにつないで、颯爽と検索開始。と想ったら、iPhoneを取り出し(おそらく)取次さんに連絡、来週の火曜日に入荷しますとのこと。俺ってば買うなんて一言も発してないのに・・・

それよか驚いたのは、iPhoneを確実に使いこなしているジジイ。いったい幾つになったんだよwww

想像するにもう70は超えていると想うのだが、相変わらずPCやらガジェットは好きなようで、安心したわけである。そしてまた来週、本を買いに行かなければならない状況に無理くり追いやられてしまいました。しかたないから買ってやるさ、マガジンと一緒にな

「もっとTV」とか「のっとTV」とか

1月前の話題で恐縮なのだが、「もっとTV」とかいうサービスが始まるんですって、奥さん。

なんだか、始まる前から終わってた感がものすごいのですけど・・・。

在京+電通による、VODサービスなのだけど、何が糞かと言われれば、対応する端末が別途必要になるということか。要するに、テレビ買い換えたり、BD/HDDレコーダーを買い換え/新規購入しないとだめって事です。そんなんないわーwwww

これは、「もっとTV」用のチップを搭載しないと、視聴対応出来ないということらしいのだが、正直経営者のビジネスセンスを疑うね。本気出すなら、チューナーを無料で配るぐらいの事をしないとはっきり言ってだめだ。もちろん、チューナー無料で配ってもVODなのでお金を払って見てもらわないと、全然回収できないっていうリスクはある。というか、超そのリスクが高い。そもそものビジネスモデルがよろしくないんだろな。

もっとも、もっとTVが全然話題に上がっていないということは、本気でやる気がないんだろう。なんとなく、新しいことやってますよ的なメッセージを送ってるに違いない。だが、誰にだろう・・・

それからちょうど同じ日に別のサービスも始まりますね奥様。

「NOTTV」、「のっとTV」、、、なんで名前似てるの?
こっちは、アナログ放送で使っていた電波帯域を使った携帯向け(主にスマホ)サービスになるわけですけど、ワンセグとどう違うのか理解に苦しむところがあります。サービスの主な特徴を見てみると、さまざまなコンテンツに対応するサービスのようです・・・が?

nottv – 主な特徴
http://www.nottv.jp/service/point/
シフトタイム・コンテンツ
見たいコンテンツが自動的に対応デバイス内に保存され、いつでもどこでもコンテンツを楽しむことができるサービスです。映画やドラマだけでなく、マンガ・小説・音楽・ゲームなど、映像に限らずさまざまな形式のサービスが利用できます。

なんだかよくわからないのは、実物を目にしていないからだろうか。

で、こっちも対応したデバイスが必要になってくるのだけど、春先から対応する携帯電話の機種が出てくる予定。通常、テレビよりも買い換えスパンが短い携帯であるので、一定の客は取り込めるような気はするが、漏れ聞こえる携帯関連の技術者の嘆きを聞くに、とても流行りそうもない。

あ、ワンセグとの違いについてだが、思い出した。解像度とか符号化方式が違うんだった。サイトを見ると、リアルタイム放送の場合はVGA+(720×480)で、蓄積型放送(VOD?)だと1080HD(1920×1080)だそうで。ちなみにワンセグはQVGA(320×240)の15フレーム(プログレッシブ)。

まとめ。「もっとTV」のほうは、早々にサービス終了しそう。ってか始まる前から終わってる。「NOTTV」のほうは、総務省から電波割り当てをもらってる関係上、すぐにはやめられないというジレンマを抱えると思われる。何年だっけ?5年?10年?ま、細々とやっていくんじゃないのだろうか。赤字垂れ流しで

首相公選制の問題と課題を整理してからしゃべれ禿

首相公選制でも首相は毎年替わるぜよ

twitter_masason

なんつーか、この人は・・・頭いいはずなんだけど、頭に血が上ると思考回路が停止してしまうような印象を持っています。あ、こんにちは、わたしです。

突如とtwitterのタイムラインに孫正義のツイートが流れてきて目を疑ったんですが、いったいどこの流れからこんな話になったのかと、不思議に思えてなりません。

ちなみに、@t_ishin は橋本徹大阪市長ですね。とくにリプライを飛ばしたというわけでもなく、橋本徹大阪市長が首相公選制の話をしていたわけでもなく・・・不思議です。

それはさておき、孫社長のこのツイートから読み取れる事を整理していきましょうか。

  • 内閣総理大臣を国民が直接選べないのはおかしい
  • 毎年首相が替わるのは問題だ
  • よって首相公選制に賛成

ということらしいです。2番目の毎年内閣総理大臣が替わるというのは、まー同意しますよ。むしろ同意しない人なんていないでしょう。1番目の内閣総理大臣を直接選べないのはおかしいとする話は、これは意見の分かれるところです。私は懐疑的な立場ですし、積極的な人も大勢いることを知っています。

ここで注意してもらいたいのは、毎年内閣総理大臣が替わる事と、内閣総理大臣を国民が直接選べない事は、それぞれ独立した問題であるということです。仮に首相公選制が行われたとしても、毎年内閣総理大臣が替わってしまう事は避けられないのではないかと考えています。

まず、内閣総理大臣を国民が直接選ぶという方法は、いわばシステムの話です。とりあえず、憲法の話とかのテクニカルな問題はおいといて、「内閣総理大臣は国民が直接選ぶのだ」という明確な目的のもとで内閣総理大臣を生み出すシステムを設計するというお話です。

一方で毎年内閣総理大臣が替わるのは、事象の話です。内閣総理大臣を辞意する理由は様々ですが、結果として毎年のように内閣総理大臣が辞任していってるだけです。ここを深く突っ込んでいくと、政局的な話になりやすいので、できれば避けたいのですが「新たな内閣総理大臣が誕生した瞬間から、内閣総理大臣を引きずり下ろしたいと考える人が多い」ということに留意しておきましょう。

新たな内閣総理大臣が誕生すると、恒例行事のように内閣支持率調査をいろんなところで実施されますが、組閣直後はいわゆる「ご祝儀」で内閣支持率が高めに出るという傾向がずーっと続いています。これは、「内閣総理大臣を引きずり下ろしたい」人がとりあえず様子見ということでなりを潜めているだけと考えています。ここで注意してもらいたいのは、「内閣総理大臣を引きずり下ろしたい」人というのは、決して「内閣総理大臣を支えたい」人にはならないということです。

マイナス方向のパワーは発揮するのですが、プラス方向のパワーを発揮することは極めて稀と言えるでしょう。そして大衆はその傾向が顕著であると考えています。

以前に、首相公選制についてこのブログでも取り上げたことがありましたが、なぜ私が首相公選制に否定的なのかは、しっかりと書いていなかったと思います。今日は、その点をしっかり書いていこうかと思います。

日本国民は政治に関してけっこうアホである

かつて日本で首相公選制が話題になったのは、小泉政権下の時代がもっとも近い昔ということになろうかと思います。そのときは、小泉純一郎が内閣総理大臣になった経緯が従来の経緯とは異なっていたことで、国民の声が反映されていた(結果として同じ方向を向いていた)時代であったかと思います。そんななか、首相公選制をぶち上げたのが当の小泉純一郎だったかと思います。政治家の中でも、首相公選制に前向きな意見が多かったと記憶していますが、ある調査結果を境に首相公選制を掲げる政治家はなりを潜めていきました。その調査結果とは、「次に首相になるなら誰がいい?」というものでした。

よくある「次の首相は誰がいい」アンケートです。そのとき、高い支持率を集めていたのは、田中真紀子です。首相公選制を叫んでいた政治家は、はっと気づきます。「首相公選制だったら、次の総理は田中真紀子なのか」と。

田中真紀子のパーソナリティや実績についてはググってもらうとして、彼女を評価する人は少ないかと思います。仮に彼女が総理大臣になっていたとしても、すぐに引きずり下ろされる事になったでしょう。実にそう思います。

当時、田中真紀子が人気を集めていたのは、歯に衣着せぬ物言いで、思ったことをストレートに言うというのが、政治家らしからぬというという理由だったかと思います。それだけです。政治的な実績はほとんどないに等しい。

当時の国民は、そういう人を「次の総理大臣にふさわしい」としていたんです。

では、今はどうなのか。本質的な部分は替わらないでしょう。どうしても人気投票になりがちであると思います。

現在の憲法を無視したとして、私が日本国に首相公選制を導入することに否定的な理由は、ほとんどこれだけです。この問題が解決できるのであれば、首相公選制導入にやぶさかではありません。

首相公選制と天皇の関係

首相公選制で主権在民と天皇の地位について、矛盾が発生するというのは、首相公選制に反対する根拠の一つして挙げられるわけですが、この件についても触れておきたいと思います。

よく知られている事かとは思いますが、改めて整理するために書いておこうかと思います。

日本国の主権は日本国民が持っています。その主権者が直接選んだ者の権威はどうなるかというと、天皇を凌駕する、または天皇と同等という位置づけになると考えられています。

それではまずいとするのが保守の方々であるわけですが、よく朝生に出てくる憲法学の小林節先生が言うには、憲法解釈でどうにでもなるというお話です。ただ、この部分はわたしにはよくわかりません。誰か解説してほしいところです。

ですので、首相公選制と天皇の地位に関しては、現行憲法下においても解決できるというものらしいということですので、私は首相公選制に否定的な理由にはこのことを挙げるつもりはありません。

自由報道協会の理想と現実

 先日、自由報道協会が一周年を迎え、それを記念してか顕彰発表があった。(http://fpaj.jp/?page_id=2143)発表は途中まで見ていたのだが、なんだかなーというイメージが先行して途中で見るのを辞めてしまったわけだが、発表後に受賞者一覧を確認するとやはりなんだかなーという印象を強める結果になってしまった。

 なぜそういった印象を受けたのかを、自由報道協会へ対する違和感を交えながら考えていきたい。

 まず、自由報道協会とは何なのかを説明が必要なのかもしれない。簡単に言ってしまえば、日本の報道の大部分は記者クラブという新聞・テレビといった大マスコミで作られるサークルを経由して伝えられる。この記者クラブは、警視庁なら警視庁記者クラブ、国会なら国会記者クラブ、地方へ行くと県の記者クラブという具合に、各々の組織に密着する形で存在する。
 警視庁で記者会見を行う時、主幹は記者クラブの持ち回りで、参加者は記者クラブのメンバーのみで構成される。フリージャーナリストや、新興のネットメディア、週刊誌などの記者はこの記者会見には参加することが出来ないという問題がある。
 民主党が政権を取る前、マニフェストに記者会見をオープン化するという項目があったのだが、実際に開かれた記者会見が実現することは少なかった。
 フリージャーナリストや新興ネットメディアが中心となって、昨年に自由報道協会が設立されることになる。

 自由報道協会の設立趣旨にあるように、理念として自由報道協会はメディアではなく会見の場を提供するだけで、自由報道協会として政治的なメッセージを投げるような組織ではない。また、取材・報道目的であれば誰でも参加することが出来る、とある。実際に、参加は誰でも可能なようだ。もちろん、大マスコミである新聞記者なども参加可能だ。

 だが、自由報道協会に対してマイナスの感情を持つ一般市民も少なくない。軽いジャブ程度に例を挙げると、会見に参加する者のレベルは玉石混淆であり、下のレベルの者が行う質問はものすごくレベルが低い。記者クラブで行われる質問は決してすべてレベルが高いとは言わないし、アホな質問も多々あるが、自由報道協会で行われるアホな質問に比べるとまだましな方だという印象がある。
 基本的に記者クラブはバックの組織をもとに行動しているわけで、上司からこれは絶対に聞いてこいという指令が出ているのは用意に想像できる。一方で、自由報道協会での会見の場合は、フリーだったり新興メディアで経験が浅い者が目立ち、的外れな質問を投げてしまう事が多い。
 代表の上杉隆は、この問題に対して「それは問題ではない。場が与えられ、経験を積んでいけばそのうち解決されていく。」という趣旨の発言をしている。それは確かにそうなのだが、もう少し入り口の所でなんとかならないものかと思う事が多い。だが、私にもその解決策というものが思い浮かばないので、上杉隆が言うように時間での解決を待つしかないのだろう。

 ジャブのつもりで書いたつもりが、ちょっとだけ長くなったが本稿の趣旨からは外れている。そろそろ本題に入っていきたい。

 自由報道協会設立後すぐに、東日本大震災が起こる。そして、福島原発事故が起こるわけだが、そこから自由報道協会がおかしくなったというか、おかしく映るようになったと私は感じている。

 原発事故以前から、原発や放射能に関する話題というのは、イデオロギー色が色濃く出てくる問題である。福島原発事故以降はイデオロギー色は若干薄まった印象を受けるが、イデオロギー色が消え去ったわけではない。
 むしろ今まで関心がなかった人達を、反原発活動に誘う役割を自由報道協会がしてしまっている事に、理念はどこへ言ってしまったのかと感じるところである。

 ここをもう少し掘り下げていきたいのだが、自由報道協会そのものの原発に対する考え方は、「反原発であろうと、原発推進であろうと、喋りたい人がいれば喋ってください」というもので、誰でもウェルカムであると言っていて、そこに嘘はないだろう。
 だが、自由報道協会発の情報を眺めている限り、反原発活動に勤しむ方々の話ばかりが目につく。
 事、原発や放射能まわりの話に限ると、自由報道協会は反原発活動の広報的役割を担っている側面が事実としてあるということだ。これは意図的にこうなっているというわけではないと思う。残念ながら、結果としてそうなってしまっているという事だ。

 その原因について考えるに、皆が考えるほど放射能は危険ではないという立場をとる、例えば池田信夫のような人がいるとする。そのような人は、自由報道協会で会見しづらい空気のようなものが出来上がってしまっていると、感じているらしい。

 実際には数の面で言えば、自由報道協会での会見で反原発的な会見は多くはない。もちろん、池田信夫のような立場をとる会見ははるかにすくないのだが。

 会見の数は多くはないけども、自由報道協会が反原発色に染まってるという印象をうけるのはやはり、自由報道協会の中心的人物の活動が、外から見ると色濃く反映しているように見えてしまうからだろう。今後もこの傾向は続くと思われる。

< <追記>>
まとまりのない文章で申し訳ない。
なかなか考えが整理できていないのが原因なのだけども、今書いておかないと、より整理が出来なくなってしまう事を懸念して、今回書かせてもらった。

自由報道協会の功罪を考えると、ちゃんと功もある。画一的な報道からの脱却という点では、素晴らしい功績であり、賞賛に値する。

しかし、罪も同時に生み出してしまっている事も確かだ。
例を上げれば、バズビーのような人物を宣伝してしまった事だ。

設立趣旨にある理念をいかに守りぬいていけるかが、今後の自由報道協会の評価に繋がっていくのだと思うわけです。

沖縄の米軍基地問題に置ける歪な言論空間

昨日のニュースで新聞紙面だと今日のニュースであるが、twitterだと旬が過ぎた感が出てきたのでblogで書くことにしようかと。そのネタはこれ。

市民団体100人以上がクロネコヤマトなどの配送車を取り囲んで配達を妨害…沖縄
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1686811.html

沖縄の基地移設にからむ環境アセスメントの評価書を政府が沖縄県庁に発想したんだけど、市民団体が運送業者(クロネコヤマト)を妨害して配達を阻止したというお話。

どう見ても「威力業務妨害」です。本当に(ry

ってか普通に犯罪でしょう。なので、犯罪者組織が業者の営業活動を妨害した。とも読める記事であるわけです。

すごいね沖縄。
自らの正義のためなら犯罪すら厭わない。
それがまかり通る沖縄。
そしてそれがおかしいことだと非難しないマスコミ。
いろいろとおかしいね。

基地移設のプロセスにおいて時期尚早との批判もあろうかと思いますが、それに対する反対意見として犯罪行為を行うのはルール違反であるとはっきり言えばよろしい。

イデオロギー的に左右へ分けるのもあれかなとは思うわけですが、どちらかと言えば左向きの方々は何十年経っても成長しないと言うか、アホなんだなという印象を強く感じるわけです。

さて、話を基地問題にフォーカスしますと、沖縄県民の大多数が沖縄の米軍基地に反対をしているかというと、まったくそんなことはないというのが正解です。どちらかというと、反対している人のほうが少ないというのが現状であり、現実であるわけです。ところが、本土の人たちから見ると「沖縄県民のほとんどが米軍基地に反対している」という印象を持っているのも事実としてあるわけです。この現実との乖離は「知っている人は知っているが、あまり関心のない人は現状をよく知らない」というかんじで、多くの人は「関心が薄い」傾向にあるので、結果として「沖縄県民のほとんどが米軍基地に反対している」というのがメジャーな認識となっていると考えられます。

ではどうしてそのようになってしまっているかを考えるに、沖縄の現状をどう知るか?というアジェンダを設定することにしましょう。
マスコミの影響力は年々低下していると言われていますが、それでも現実的にはまだまだ影響力は巨大であると言わざるを得ません。いわゆる全国紙と呼ばれる主要5紙とキー局と呼ばれる在京テレビ局の間に意見の差異はほとんど見られれず、言ってみれば横並び報道が当たり前の状態です。彼らの伝える沖縄の現状は「基地に反対する声」が圧倒的であり、それを見ている人は「ああ、そうなんだ」と思ってしまうわけです。
では、「基地に賛成する声」というものがあるのかというと、「心のなかでは賛成するが、声には出せない」という意見がかなり多くネットで散見できますが、それが主要紙に乗ると言う事は珍しいというか、紙面比率で言えばあっという的に少ない印象です。
まとめると、マスコミは声なき声をちゃんと拾えてなくて、現状を正しく伝えられていないよね。というところでしょうか。

さて、より歪な事になっている沖縄について考えてみましょう。
まず把握して置かなければならないことは、沖縄において(地方だとけっこうそうなんですが)、いわゆる全国紙と呼ばれる新聞は読まれていないという事です。これはFACTAの2007年の記事ですが、都市部に住む人からすると以外なデータが出ています。

朝毎読日経 VS 地方紙のシェア争い
http://facta.co.jp/article/200707008.html

沖縄の新聞シェアは、琉球新報と沖縄タイムスの2社でほとんどを占めていて、5大紙はほとんど部数を稼げていません。沖縄に置ける言論空間で、この2紙が占める割合はどの程度なのかはっきりとはわかりませんが、少なくないと見るのが妥当ではないでしょうか。
この2紙は、明らかに反米軍基地の態度をとっており、いわゆる左翼系の論壇とも近いところにいるわけです。そして多くの沖縄の知識人層に支えられているという構造があるわけです。
また沖縄で米軍基地に反対する意見の人は組織化されており(例えば日教組)、組織で活動をしているわけです。米軍基地賛成の意見をもつ人は、それほど組織化されておらず、声の大きさで言えば圧倒的に小さくなってしまう。逆に大規模組織化されたほうの声の大きさたるや、全国に響き渡るわけです。

さらにマズイことに、政治的な立場が沖縄の経済活動に影響を及ぼす事もあるわけです。
例を挙げて説明すると、A社とB社があったとします。A社はB社よりも上の立場で取引をしています。A社の社長さんは米軍基地には反対です。B社の社長さんは米軍基地による仕事もあるので、反対の立場と言うよりもどちらかといえば賛成側という事にしましょうか。ここで、B社の社長さんは米軍基地に賛成する人たちから署名のお願いをされました。B社長は署名ができるでしょうか?署名したことがA社の社長にバレたら取引停止されてしまうかもしれない。かといって米軍基地がなくなってしまうとそれも困る。悩んだ末にB社の社長は署名をしたわけですが、結局A社の社長にバレてしまい、取引がなくなってしまった。こんな1例があったりするわけです。

また、企業の採用活動にも影響が出ているという話もあります。基地賛成派は採用しませんというケース。逆のケースもあろうかと思いますが、そのケースは目にしたことは、少なくとも私はありません。

こういうこともあって、沖縄ではある意味では基地問題はタブーになっているという現実があるわけです。
こうした歪な言論空間が是正されないかぎり、沖縄の問題ってのはいつまで経っても解決しないと思うわけです。

GALAPAGOSが終わる日(2)

シャープ担当役員、「GALAPAGOSは決して撤退しない」
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1109/16/news150.html

でも終わってると皆感じている。いや、始まる前から終わってると感じている。

まだまだ、新製品を出す気持ちでいっぱいのようだが、サービス側が良くならない限り、苦戦は必死だろう。

前のエントリーで(時間的都合で)かけなかった部分を今日は書いていきたい。

始まる前から終わっていたと思っているのは、ガジェット好きが中心だと感じるのだが、そのガジェット好きがGALAPAGOS購入に動いたかというと、首を捻る。一部のガジェットマニアは、コレクション目的か、応援の気持ちなのかわからないが、購入したという話を聞くが、そんなに数が出ていったという話でもない。

GALAPAGOSは、あくまでGALAPAGOSのストアから購入した書籍を見るだけの端末としてスタートした。
その後、Androidの汎用Tabletになったわけだが、事遅かったとも言える。
それ以外のことを言えば、汎用tabletはiPadの一人勝ち状態が、日本だけではなくて全世界的な傾向であり、tablet市場でシェアを獲得するのは、かなり難しい。
さらに日本独自端末であるから、当然ながら世界的な市場に比べるとマーケットボリュームは小さくなり、開発コストがその分端末価格に厚く乗ってしまう。

ここまで書いてきて、なぜか腹がたってきたので、ここいらで終わりにするが、GALAPAGOS事業を続けるのであれば、入れ物である端末に力を注ぐよりも、ソフトであるサービス側の改善を強く求めたい。

GALAPAGOSが終わる日(1)

 シャープがGALAPAGOS端末の販売を中止するそうだ。

「ガラパゴス」進化せず シャープ、9月末で販売終了 「iPad」に対抗できず
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110915/biz11091510310007-n1.htm

 始まる前から終わってたとも言えるGALAPAGOSであるが、最近はすっかり存在を忘れていてニュースを見て「ああ、やっぱりね」というのが最初の印象であろうか。
 一応、他の販売ルートは残ってるようであるが、近い将来他の販売ルートも終わるであろうし、新たに端末が出てくることもないだろう。

 現時点で、GALAPAGOSは失敗であったと言えるだろう。では、なぜ失敗したのか。このあたりを考えてみたい。

 思い当たる節を列挙してみるとこんな感じだろうか。

  • 紙から端末へのシフト需要を創りだせなかった
  • 電子書籍としてのインセンティブがなかった
  • ガジェット好きが食いつかなかった
  • コンテンツ不足と流通の問題
  • ユーザー独自コンテンツが作れなかった

多くの人は本を紙で読む

 まとまった文量のテキストを読むのは、紙の本で読むのが当たり前。という大前提があり、多くの人は子供の頃からそういう訓練を意識しなくても受けてきている。
 ネットの発達した現在では、ウェブでテキストを読むという行為は一般的になってはいるが、200ページを超えるような新書のような文量のテキストをウェブで読みたいという人は、あまりいないだろう。
 目が疲れるし、栞のような機能があればよいが、ウェブの1ページに本一冊分のテキストが書かれていたら、さぞ読むのは大変であろう。

 PDFといった紙に近いフォーマットを持った形式であろうとも、紙の本に慣れている人からすると、PDFですら長文は厳しい物がある。

 電子端末で長文テキストを読むという行為自体が、「本をよく読む人=本をよく買う人」にとって苦痛なのだ。

 ちなみに私はどちらでもいい派であるが、夜は部屋の明かりをつけたくない性分で、夜間だと端末の光だけで読書が出来るという点で、電子書籍のほうが読みやすかったりするのだが、私の場合ははっきり言って異端であろう。

 GALAPAGOSのような電子端末のターゲットは本をよく読む人であり、そもそも本をあまり読まない人にとって、メリットがあまりない。むしろ端末代の負担が大きくのしかかる。一方で、本をよく読む人には電子化はあまりありがたみがない。
 そもそも需要がなかったのだと言ってしまっていいだろう。

電子書籍のインセンティブとは

 電子書籍が登場しだした頃言われていたのが、電子書籍なら本では実現しなかった事が出来る。例えば、音声ガイドを載せるなり、動画をつけることが出来るとか。目次からチャプターへのジャンプだとか。
 後者は便利であると言えるが、前者ははっきり言って需要がない。

 本の未来をテーマに語るといったカンファレンスを見ていても、本そのものの形態が変わっていくという考えを示したのは、出版業界の先進的な人たちであった。が、実際には変わっていくというムーブメントも作り出せなかった。
 これは、読者がついていけてないとも言える。本を読みたい読者はあくまで「本が読みたい」のであって、音声がついてるとか正直どうでもいい。

 では代わりに別のインセンティブを与えるにはどうしたら良いか。安直ではあるが、価格面で普及を促すという方法が挙げられる。

 現在流通している電子書籍の価格は、同じ紙の本と価格を比較するに、同額もしくは若干安い程度。ほとんどは、若干安い程度になるだろうか。整理すると

紙の本(新品)≧ 電子書籍 > 古本

という具合。古本で手に入るなら、古本のほうが安いわけだ。

 電子書籍の価格設定については、ちと難しい所がある。海外に比べ、日本の(紙の)本は価格が低めに設定されている。これは昔からそうで、業界全体での企業努力と業界のシステムによる所が大きい。
 海外での電子書籍と紙の本の価格比率と日本での価格比率を比べると、海外に比べ日本での価格比率に差が少ないのは、日本では紙の本が安いからというのが理由の1つである。このあたりは以前にも書いた。

 もう1つ理由を上げるとすれば、意外と電子書籍にまつわるコストが掛かっているという点。本を出版するコストを考えると、紙の本では印刷する数に応じてコスト全体が変動するが(印刷費が)、電子書籍の場合ほとんどが固定費である(編集費用)。だが、その固定費があまりに大きく掛かっているそうだ。このあたりは伝聞であるし、なんでそんなに掛かっているのか不思議でならないのだが、そういう事らしい。
 このあたりはまたの機会に再度整理したいと思う。

 この節で何が言いたいかというと、ユーザー側は電子書籍になれば、同じ本でも電子書籍ならば価格面で有利になるだろうと思っていたが、実際にはそうではなかった。ユーザー側のガッカリ感はわかってもらえるだろうか?

コンテンツ不足感に対する訴求力の弱さ

 GALAPAGOSに限らず、他の電子書籍マーケットでも同じであるのだが、「この本屋に行けば、なんでもある」という場所が存在しない。あの本はどこで売っているのだろう?それを自分で探し当てなければならないという残念さ。マーケットが乱立したら、まーそうなるよね。ということだ。

 電子書籍を購入するという行為を考えるに、決算の問題からクレジットカードが必要だったりして、若干の敷居が高くなるのは事実である。だいたい同じような操作で、紙の本をネットで購入することだって出来る。むしろ、ネットで紙の本を探したほうが早いという現実もあるわけで、電子書籍マーケット全体の本の数とamazonが抱える本の数を比較するに、amazonのほうが多いであろうという現実には代わりがない。

 結局のところ、amazonにしてやられるという状態になってしまっている。

 エントリーがまとまっていないが、ちょっと時間がなくなってきたので、続きを近日中に書くとして、今日はここまでとさせてもらいます。

人が歳を取ったと思う定番どこ

 小さい子供の頃テレビに映っている有名人は、身近な大人よりどこか立派な大人の人というイメージがついていたものだ。しかし気づくと、若いアイドルと自分が同世代となったかと思えば、数年後には明らかに年下のアイドルがテレビに映っていて、ああ歳を取ったんだなと自覚する。この経験は私だけじゃなくて、私より上の世代も同様であると思う。私より下の世代はわからん。

 新しい世代が社会に出てくる事で、社会の先輩共は得てして分かりきった質問を投げかける。「新人の君は何年生まれなの?」と。大卒社会人1年目なら逆算してだいたい生まれた年なんてわかるようなものだが、いやわかっているのだが、それでもあえて聞くのだ。自分が歳を取ったと自覚するために。

 若い人からすれば、「何このウザったい質問は、意味あんの?」と思うかもしれないが、10年後自分が下の世代にやはり同じ質問をするようになると気づくのは少数かもしれない。

 世間一般的には10年区切りで世代を区切る。団塊の世代やら、ベビーブーム世代やら。しかしこれだけ社会の流れが早くなった昨今、10年で一区切りにしてよいものだろうか。同じ0年代と言っても、前半と後半ではだいぶ社会が異なるように思える。同じ感覚はもっと昔にも存在したかもしれない。だがあまり小分けにしても意味が無いとの理由で社会的なコンセンサスが得られなかったのではないかと思うが、今ならそのコンセンサスも得られやすいのではないか。

 さて、今年は2011年である。アイドルと呼ばれる子供たちの年齢下限を12歳と設定すると、来年か再来年あたりに21世紀生まれのアイドルが闊歩しているわけである。そして、おっさん/おばちゃんはこう思うわけである、「歳をとったな、と」。